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第21話 海外で活躍する日本人


 海外で3年以上生活していると、時々自分が日本人ということを忘れたような言動や振る舞いをしていることがあるが、その一方で日本にいる時より、自分が日本人だと強く自覚するときがある。それはアメリカで活躍している日本人をテレビで観たとき。アメリカではどの分野に於いても日本人の活躍など滅多にみられないから、偶然みつけたときは思わず見入って応援してしまう。
 日本では「彼はアメリカでも有名です」なんていう芸能人も結構いるけど、テレビで日本人の歌手や俳優を見かけることなどまずないし、周囲のアメリカ人に知っている有名な日本人を尋ねても、なかなか名前が出てこないから、よほどの親日家でもない限り、みんなその程度なんだろう。
 一方、自動車、家電メーカーや精密機械等の日系企業の知名度は抜群だ。要する日本企業の認知度は高くとも、活躍する個人は極端に少ないということだろう。残念だが日本から国際的な歌手やスターが生まれない一因は、言語の問題もあると思う。
 そんなアメリカで数少ない日本人の活躍にお目にかかったことがある。ゴルフの岡本綾子とアイススケートの伊藤みどり。二人とも女性でアスリート。確かにスポーツは歌手や俳優に比べ、言葉のハンディが少ないが、言い換えれば実力が全ての世界。たいしたものである。
 海外で活躍する日本人を観るのは嬉しいし、稀なこともあって応援にも力が入る。異国で頑張る彼女達の緊張感が、画面を通してひしひしと伝わってくる。日本では全く意識しなかったが、海外だと日本人というだけで、こんなに感激したり、刺激を受けるとは思わなかったので、とても不思議な気がした。
 海外でも長期滞在すると、最初の感動や緊張感がなくなるのは仕方ないとして、いい意味の緊張感は永遠に持続させたいと思うし、そのための刺激は常に必要である。海外で日本人の活躍に触れるのは「緊張感のある自分」を取り戻す、いい機会でもある。

第22話 アメリカ製品購買運動


 景気後退の中、1992年がスタートしたアメリカは、その元凶が日本との貿易不均衡にあるとの論調も少なくないが、私にいわせれば政治的に利用されているだけのような気がする。
 もちろん、先日の某衆議院議長のような不用意な発言「アメリカの労働者は怠け者云々…」は厳に謹んでもらいたい。アメリカ人は本音と建前がはっきりしているから、公式の場のあのような発言は許されないし、日本叩きやアメリカ製品購買運動を盛り上げるパワーに繋がったりして逆効果だ。当然アメリカに住む我々日本人も肩身の狭い思いをする。
 1月のある週末の朝刊の経済欄に関連記事が掲載されていたが、アメリカ製品購買運動といっても名ばかりで、根本的な中身が伴っていないのに驚いた。例えば、アメ車は日本車より、この点が優れているとか、性能や品質部分での比較はせず、アメ車を購入すればガソリンの割引があるとか、低利ローンが受けられるとか・・・。逆にアメリカの自動車業界が抱える問題の大きさをさらけ出しているようで、何とも情けない気がした。
 また別の新聞では、ここまで落ち込んだのはアメリカ3大自動車メーカーの努力不足、怠慢経営が招いた結果であり、外部に圧力をかけるのはお門違い、資本主義の根幹にも関わる問題だと指摘。例えば度々記事になり、話題にもなる話だが、ハンドルの位置一つにしても、アメリカ向けの日本車はちゃんと左ハンドルで設計されているのに、日本向けのアメ車は左ハンドルのまま日本へ輸出している。市場に合わせず、本気で売る気があるか疑わしい。などとアメリカ国内でも批判される始末。
 もちろんこれはアメリカ人の視点で、我々日本人からみれば「アメ車はやっぱり左ハンドルのほうがかっこいい」となるかもしれないが・・・。
 宮沢さんは首相になる前、アメリカ大手自動車メーカーを名指しで「会社が赤字なのに経営幹部が特別ボーナスを貰って、日本へ文句をいうようなアメリカの会社に振り回されることはない!」と言い放ち、大いに賛同したものだが、やはり首相になると同じことはいえないのかな・・・。

第23話 アメリカ映画を観る


 アメリカ映画の「指定」について、知っていると少し役に立つ情報を。
 日本の場合、指定というと「18歳未満入場お断り」というフレーズを思い浮かべるが、アメリカで観る映画は全て、G, PG-13, R, Xのカテゴリーに分けられており、ポスターやタイトルボードに明示されている。ポルノ解禁のアメリカでも未成年やTV等、公共の電波の規制はかなり厳しく、映画も同様この指定マークを参考に各自で選んだり、入場を規制したりする。
 まずG、これはGENERAL AUDIENCEの略で、一般向けの意味だが、実際は完全に子供向け映画。例えばアニメやウォルトディズニーのシリーズはこれに該当する。次にPG−13、PARENTAL GUIDANCE SUGGESTEDの略で、13歳以下の子供は親と一緒に観ることを推奨しているが、誰が観ても問題なく家族全員で楽しめる一般向け映画。最近の映画だとホームアローンなどがこのカテゴリー。アメリカで以外に厳しいと感じるのが、暴力シーンや血の出るシーンに対する規制。そんなシーンがあるとPG-13からRの指定になる。また暴力シーンがなくても、相手を罵ったりする時、ちょっと日本語には訳せない汚い言葉を使うシーンがあるとR指定になるようだ。RはRESTRICTED、制限されたの略で17歳未満は両親もしくは大人同伴が入場の条件になっている。話題になったインディアナ・ジョーンズ、ターミネーターやロボコップなどはR指定で我々が観て一番面白い作品がこのカテゴリー。最後のX指定(NC-17ともいう)はセクシーな場面が多い映画で日本の18歳未満・・・と似ている。ちなみにXは何の略かアメリカ人に聞いても分からなかった。
 メンフィスの映画館は一カ所で6〜12タイトルの映画を上映しているが、特に当てもなく何を観るか迷ったときには、映画タイトル後に表示されている指定マークを参考に選ぶ選択肢もある。

第24話 迫力と情緒


 日本的な情緒とは一体なんだろう。もちろん日本人の私は理解しているつもりだが、アメリカに住んで再び考えさせられる機会が何度かあった。
 日本ではよく「情緒かあるとか、風情がある」というが、それってアメリカ人に説明しにくい一番理解しがたいものじゃないかと思うことが時々ある。
 例えばナイヤガラの滝を見た後、日光の華厳の滝を見て、情緒があるとか思えない。スケールや迫力の比較は誰にでも出来るし、感動とも直結しており、客観性も感じられるが、情緒の物差しはなんだろう。想像するに情緒には文化的や歴史的背景が含まれていて、ちょっと曖昧。ある程度の知識がないと感じられない情緒が存在する気がする。しかしそこが情緒のいいところだという日本人もいそうだが、アメリカ人には分かりにくい。私自身も以前、日本でそういう言葉を売り文句にしている名所旧跡に出掛けたが、結局期待外れだった記憶がある。もちろん十分な知識を持ち合わせていなかったのも事実だが・・・。
 その点、グランドキャニオンにはなんの知識もなかったが、文句なしのスケール感に圧倒され感動した。大迫力という言葉の前では、情緒ある風景は言い訳に聞こえるぐらい説得力がない。そういえば、迫力、壮大、雄大という言葉と情緒や風情は限りなく反意語に近い。もちろん情緒や風情を全否定するつもりはない。しかし深く理解するには、もう少し歳を重ねる必要があるのかもしれないし、アメリカではその適訳もなく、理解してもらうのは難しそうだ。そう感じる私は既にアメリカナイズされたのかもしれないが、風景に限らず理屈抜きでみる人を感動、圧倒させられるのは凄いし、理想だと思う。デザインしかり。

第25話 ブルースはアメリカの演歌


 人間は多少の個人差はあれ順応力を備えており、時間とともに新しい環境に適応出来るようになる。私はアフリカの未開拓地に住んでも多分大丈夫だと思うが、一度順応してしまうと最初の驚きや感動も日常生活となってしまい、逆に過去の日本での生活が新鮮にさえ感じられるから不思議だ。
 そんな中、毎回私に新しい感動とエネルギーを与えてくれるのが、ライブの「ブルース」ミュージックである。ブルース発祥の地といわれるメンフィスのダウンタウンには、何軒ものライブハウスが軒を連ねたストリートがある。夜ともなるとそれらのお店から溢れ出た音楽が通り全体を覆い尽くし、なんともいえない独特の雰囲気を醸し出す。そして週末は歩行者天国になった車道をほろ酔い気分で歩いていると、ブルースやジャズの楽曲が混じり合い、重なりあって耳に飛び込んでくる。それが他に例えようもなく心地いい。
 また近くの公園ではライブハウスと契約出来なかった溢れたミュージシャン達のパフォーマンスが繰り広げられる。客からのチップだけで生計を立てている彼らの音楽はライブハウスに勝るとも劣らず、中には子供まで巻き込んでの演奏も迫力満点だ。誰かが「ブルースは黒人の演歌だ」といっていたが、まさにその通り。日本人が真似ようとしても絶対に真似出来ない表現方法や技術以前のなにかがあり、それが魅力の根源でもある。俗っぽくいえば「ソウル」魂があるということか。酔ってふらふらになっていようが自分の手足の一部のように自由に操るピアノやギター、トランペット、お腹の底から絞り出すように歌うボーカル、生まれながらリズム感、独特の感性だ。
 海外生活が長くなると、時折り日本とアメリカの境界線が分からなくなることもあるが「間違いなく今自分はアメリカにいる」と感じられるのは、ジャック・ダニエルを傾けながら目を瞑り、彼らの音楽に身を委ねているときである。

第25話 日本が勝てないアメリカ


 日本車に乗り、家庭で日本製の家電製品に囲まれて生活しているアメリカ人は多い。理由は様々な分野で日本製品の品質が向上したからだが、これだけはどんなにひいき目にみても絶対アメリカに勝てない分野がある。それはショービジネスといわれるミュージカルやアミューズメントパーク、映画や歌手のパフォーマンスに至るまで、全てアメリカが生み出した世界ともいえる「エンターテイメント」の世界である。
 一時ソニーやパナソニックがアメリカの映画会社を買収してひんしゅくをかったが、彼らは日本人が絶対かなわない部分をよく知っていたということだ。またフロリダのディズニーワールドのような、日本が物理的に真似出来ない規模、スケール感もアメリカが世界一だろう。そしてそこには日常のアメリカには見られないサービス精神がある。
 エンターテイメントの世界で感じる日本とアメリカの差は歴史的、文化的な背景もさることながら、それに関わる人材の層の厚さも無縁ではないだろう。
 メンフィスのダウンタウンでブルースを聴いたときにも同じようなことを感じたが、特に意を強くしたのは、ラスベガスでショーを観てからである。ラスベガスの一流ホテルで日夜繰り広げられるエンターテイメントは一見の価値がある。私はショーやマジックのクオリティの高さや迫力に度肝を抜かれながらも、合間の休憩時間のコントや短いショーにも感心した。一時たりとも観客を退屈させない本場ラスベガスの演出や趣向は当然としても、とても前座とは思えないレベルだったのは二重の驚きで、彼らだけでもホールを満席に出来ると思ったほど。きっと長い下積みや数々のオーディションを勝ち抜いての出演は、やはり観るものを納得させる一流のショーテクニックを全員が備えており、改めてアメリカのショービジネスの奥深さに脱帽した。
 日本車が街に溢れても、やはりアメリカはアメリカ、日本人が頑張っても勝てない分野があり、それがアメリカの底力であり魅力だろう。

第27話 本音と建前の社会


 アメリカは平等、自由の国というが、正確には平等、自由を目指している国といったほうが的確だろう。同時に本音と建前を使い分ける社会であり、これに気づかず行動すると大変なことになる。
 日本の政治家が公式の場で「アメリカは人種差別の国」的な発言をすると、アメリカの政治家やマスコミは鬼の首を取ったが如く大騒ぎするが、アメリカ国内ではさほど大きな話題にもならず、ジャパンバッシングに利用されているだけだと思う。もちろん内政干渉発言を繰り返す日本の政治家も問題だが・・・。
 アメリカ人が本音と建前を使い分けている例はたくさんあるが、一番多いのはやはり人種差別に関する件。これはかなり根が深い。
 またこれも差別対策の一環だと思うが、アメリカでは就職時の履歴書に写真は不要、人種、性別、なんと生年月日も記入する必要がない。ということは募集側も「25歳までの女性デザイナー求む」といった限定した広告は出せない。 法律で決められたこの採用システムの狙いは、人種、年齢、性別差別への配慮であることは間違いないが、感じたのは非常に建前的で非効率。なぜなら募集する側も採用したい人材の具体的なイメージがあって募集しており、その枠から外れた人は採用しないだろう。面接すれば全て分かることである。一方応募する方も相手がどんな人材を望んでいるか分からず、片っ端から履歴書を送るはめになるから、それはそれで大変だろう。ルール上は平等で誰にも門を開いているようだが、実際はそうでもないし、生活の中でうまく本音と建前を使い分けている事例といえる。
 ある雑誌の対談で、誰かがプレイボーイクラブのバニー募集広告に、写真も性別も生年月日も記載の必要がなければ、そのうち初老の男性のバニーガール、いやボーイが誕生するのではないかと現状の問題点を指摘、皮肉っていた。その姿を想像したら多分ゾッとするか、笑えるかのどちらかだろう。
 依然として存在する差別、それを規制するための施策とはいえ、我々日本人には理解しがたいルールであり、これも多民族国家アメリカの持つ大きな悩みのひとつであろう。

第28話 一生懸命論


 一生懸命働き、一生懸命遊ぶことを人生の信条としている日本人は結構多いと思うが、アメリカに来て「一生懸命」という言葉に少し違和感を持ち始めた。まず一生懸命働く姿勢は大切だが、結果が最重視されるビジネスでは一生懸命はキーワードとして相応しいとは思えず、むしろ少し余裕を持って働くことで、物事の重要性や本質を見極めることが出来るのではないだろうか。
 「エネルギーや時間には限りがあるのだから、極力役に立たない無駄なことはしないこと」「一生懸命に間違ったことをするのが、一番始末が悪い」と誰かがいっていたが同感である。もちろん事前にこれからやることが無駄になるかどうかを見極めるには難しいが、客観的に物事を判断するためにも、ある程度の余裕は必要であろう。「一生懸命」はうまくいけばいいが、一歩間違えれば、「諸刃の剣」ということにもなる。
 一方一生懸命遊ぶというのも、見方を変えれば疑問が多い。休日の過ごし方は日本人よりアメリカ人の方が上手な気がするし、特に長期休暇の過ごし方となると差が出てくる。休暇になるとアメリカ中を車で走り回る日本人は少なくなく、休み明けには「2000マイル走った」「アメリカを横断した」と少し自慢げに話す人もいるが、2000マイルといえば3200キロ。半端な距離ではない。時速80キロで走り続けて40時間、よほどの車好きでもない限り、一週間程度の休みで走破出来る距離ではないと思うのだが・・・。
 話を元に戻すと一生懸命遊ぶというのはその期間、走り回って一カ所でも多くの観光地を巡ることだろうか。日本人はたとえ疲れ果ててでも一生懸命遊んだという充実感を求めて走り回るが、やはりここでも余裕がほしいものである。
 その点スマートな欧米人は、一生懸命遊んだりしない。海辺のリゾートの同じホテルに長期間滞在し、朝夕はプールサイドの木陰で好きな小説でも読みながら、昼間はゴルフ、ダイビング、ジェットスキー等に興じ、夜は夜でワインを片手にゆっくりその土地の名物料理を楽しんでいる。
 だから何をするにも一生懸命なんていわず、少しは彼らを見習い休みの日は「のんびり充電したい」と願う今日この頃である。

第29話 パーセプション・ギャップ


 アメリカ人は我々日本人のことをどう思っているのだろうか。
国際社会の中でアメリカの位置付けは間違いなく重要だが、一般的なアメリカ人の国際感覚は高いとは思えない。例えば海外渡航歴一つとってもここメンフィスには州外にさえ出たことのないアメリカ人が多いのには驚いた。
 以前一緒に働いていたアメリカ人が日本語に興味を持ち、勉強中の日本語の発音を聞いてきたが、どうも「つ」がうまく発音出来ない。「つくえ」が「トゥクエ」になる。
 その後彼は「日本人はなぜ英語が正確に発音出来ないか分かった」といっていたが、彼は日本語にない音が英語にあり、英語にない音が日本語にあることを日本語の学習を通して初めて理解出来たようだ。アメリカ人を二通りに分類すると、一つは日本に来た外国人が片言の日本を話せば一生懸命理解しようとするように、状況を理解して我々の英語を一生懸命聞いてくれるタイプ。もう片方は「彼の英語は分からない」と全く理解しようとせず、簡単に諦め突き放すタイプ。アメリカの地方都市、メンフィスには以外と後者が多いので、彼らの冷たい対応に自信を失くす日本人も少なくない。
 彼らにすればここはアメリカなんだから「ちゃんと英語を話せよ」ということかもしれないし、もっといえば「英語が話せない人間がいること自体、信じられない」ぐらいに思っているように感じることもある。そしてこれがお互いに誤解を生む要因の一つでもある。
 誤解といえば、当初「アメリカ人を夜遅くまで働かすと離婚の原因になるから注意した方がいい」とのアドバイスを受けたりしたが、これもステレオタイプ的な見方で、責任感のある人なら定時になったといって重要な仕事を途中で放ったらかして帰ったりはしない。その一方で彼らは周囲の目を気にして遅くまで残ったりしないし、本人や家族の大切な日には事前に上司へ伝え早く帰る。その時は周囲の人間も協力的だし、確かにこれはいい習慣だ。
 常識や生活習慣のギャップは必ず存在するし、片方が一方的に妥協しない限りギャップはなくならないが、お互いに違いを認識し、尊重し合って初めていい関係を築くことが出来ると思う。

第30話 ゴルフと新しい人間関係


 アメリカに来てゴルフを始めた。
信条というほど大袈裟でないにしろ、ゴルフにはかなり先入観、いいイメージを持っていなかったので、アメリカに来ていなければ多分一生プレイすることはなかったと思う。だからアメリカでも始めるまで少し時間がかかった。
 きっかけは「古いクラブをあげるから一緒にやろう」と誘ってくれた親切な先輩がいたこと。そしてもう一つの理由は、同じ会社に約20名の日本人が働いているが、日頃接するのはデザインに関係ある部門の人だけで、それ以外の人との交流はほとんどなかったことから、ゴルフで彼らとの繋がりが深まればと思い、始めることを決意した。
 生まれて初めて18ホールを終えた感想はといえば「もう二度とやりたくない」の一言。事前に少し練習はしたが、本番では全く役に立たず、周囲に迷惑がかからないよう、ひたすら走り回って疲れ果てた。そんなわけでその時は全く楽しくなかったが、なぜかその後も続けているのは辛抱強い仲間のおかげと多少の悔しさが影響したのかもしれない。
 ゴルフほど好き嫌いがはっきり分かれるスポーツも珍しいと思う。日本のグリーンフィーは異常に高く、当初は私も「金持ちの道楽」程度にしか思っていなかった。しかし、ここメンフィスのゴルフ場はパブリックなら約10ドル(1300円)で18ホール回れる。そんなこともあって子供やお年寄りが自然の中で、のんびり、気軽にプレイしている姿を見て、ゴルフの持つイメージが一変、年を取っても出来そうだし、そんなに悪くない趣味だと思うようになった。またゴルフは海外で暮らす日本人の最大公約数的、共通の趣味といえる。ゴルフほど本人の性格がはっきり現れるスポーツも珍しいし、とてもメンタルな競技なので、根気や忍耐強さも養われるはずだが、私は毎回やるたびに自分の忍耐力のなさを痛感している。
 予想通りゴルフを通して新しい人間関係も築けたし、アメリカ人との共通の話題としても役立っているが、元々ビジネスツールのつもりが知らぬ間にゴルフに夢中になっている最近の私である。あとは上達あるのみ。

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