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第31話 国家とアイデンティティ


 国家に対するアイデンティティ(自己認識)とは、なんだろう。
海外にいると自分が日本人だと強く認識する機会は多い。一方国家については日本いたときから、あまり深く考えたことはなく、アメリカに来てからも漠然と日本とアメリカの違いを国として比較する程度であった。そして最近気づいたことは、海外に出るまで私は国家に対する意識「愛国心」のような感覚は低いほうだと思っていた。実際殆どの日本人は日常生活の中で「愛国心」なんて言葉を口にすることはないが、だからといって我々日本人が他の民族に比べ「愛国心」が劣っているとは思えない。もし日本が他国の侵略を受けたり、大きな危機に直面すれば、日本人として民族的な連帯感が高まり今まで意識しなかった愛国心を多くの日本人が再認識するだろう。その是非はともかく、それが戦争にも繋がるのだが・・・。
 要するに国が不安定な状態に陥って、初めて意識するのが国家だと思う。現在の日本はそれを意識せずに生活出来る環境にあり、言い換えればそれだけ平和だということである。
 「平和」とか「平等」とか「自由」とか、あまり声高に叫んだり、意識しないほうがいいに決まっている。世界中を見回して、政治的にも経済的にも不安定な国家ほど国旗の掲揚や国歌をテレビやラジオで頻繁に流し、国家に対する愛国心を植え付けようと努力している。そして「平和」「平等」「自由」を強調する。以前住んでいた中米の一国では、政府は平和だといっていたが、国境周辺は隣国との紛争が絶えず、治安も良いとはいいがたかった。
 日本とアメリカを比較すると、本音と建前を使い分ける必要のある多民族国家のアメリカは、日本ほど平和でないし、抱えている課題の多くは日常生活と密接に関わり根が深い。一致団結しているアメリカ人のナショナリズムも国家や政府、マスコミをも巻き込み一生懸命コントロールして、ようやくまとまっているようにも思える。
 そういう意味では国際間の紛争やオリンピック等を利用しているし、海外からの批判にも過剰反応して、うまく矛先をかわしている。アメリカという国自体がしたたかな、やり手の「エンターテナー」だ。

第32話 個人主義と訴訟社会


 アメリカは個人主義が進んでいるが、その一方で訴訟社会である。
個人の判断や意思を尊重することは、極端にいえばその判断が間違っていても自分が正しいと主張するわけだから、訴訟が増えるのも頷ける。
 責任の所在を明らかにする意味では一つの方法かもしれないが、何でもすぐに訴訟するのはどうかと思うし、当然問題も多い。多民族国家故に各自の習慣や価値観も違い、何を基準に決めるか難しい。明らかに本人に非がある場合でも、簡単には自分の間違いを認めないから、日本ほど普段「SORRY」という言葉を耳にしないのも納得出来る。
 アメリカでは医者が患者に癌の告知をするのは、習慣や国民性というより、後々訴訟されないためだといわれている。自分が出来る責任の範囲を事前に明らかにする意味では理解も出来るが、言い換えれば患者の気持ちより、自分の立場を優先しているようにも聞こえる。
 またアメリカには弁護士が多いから訴訟も多いという話をよく聞く。そういえば数年前、日航ジャンボが富士山麓に墜落して多くの日本人が犠牲になったとき、アメリカから大勢の弁護士が押し寄せ、遺族の代理人を引き受けたいという話も聞いた。訴訟相手は日本航空とボーイング社だから頷けるが・・・。
 採用や昇進についても差別が起こらないよう日頃から気をつけないといけないが、問題があれば訴訟も覚悟しなければならない。日本と違いお金がなくても成功報酬制度等で簡単に訴訟が出来る上、企業相手、特に日系企業相手の訴訟はお金になるので弁護士にとっても大歓迎だろう。そしてうまく立ち回れば、例え当人に非があっても一生働かなくてもいい収入を得られるのはどうかと思うが、陪審員制度と並んで私があまり好きになれない制度の一つである。

第33話 車社会とアルコール


 メンフィスの交通事情は赴任直後に一度レポートしたことがあったが、今回はタブーともいえる車とアルコールの関係について。
 当初不思議に思ったのは、連日深夜まで週末には朝方までオープンしているレストランやバーへの交通手段はどうしているのかということ。メンフィスには電車や地下鉄等、公共の交通機関は皆無でバスはごく限られた路線で夜は8時ぐらいまで。また流しのタクシーも皆無で電話で呼べば来てくれるが、わざわざタクシーで飲み屋へ行く人を見たことはない。結局自分の車で出掛けるのだが、アメリカでも飲酒運転が禁止されているのはいうまでもない。それにも関わらず、週末の深夜バーの駐車場はどこも車で溢れている。アメリカでは夜に集まって飲んだり騒いだりするとき、夫婦や恋人でもない限り、日本人のように誘い合って相乗りする習慣はなく、一人一台が一般的。その彼らが深夜、ソフトドリンクだけで盛り上がっているとは想像しがたい。
 飲酒運転は交通違反であり、場合によっては罰金だけでは済まされず、そのまま刑務所へ直行の可能性もある。但し、飲酒運転の検問はないので事故でも起こさない限り捕まることはない。各自がリスク覚悟で行動しているといえば聞こえがいいが、実際は国、州や市が公共交通機関の不備のツケを国民に払わせているといえなくもない。
 日本と違い、ここでは歩いていける飲み屋などないし、昼も夜も車以外に出掛ける手段がないのだ。もし警察が本気で飲酒運転の取り締まりを始めたら、深夜営業のバーは全て間違いなく潰れるだろう。
 最後に面白い話を一つ。アメリカでは免許停止になっても車での通勤と生活必需品を買うための移動は認められている。即ち免停でも運転出来るのである。もちろん最終判断は裁判所が下すのだが、公共の交通手段がないことを自ら認めたような法律でなんとも面白い。

第34話 エンパイア・ステート・ビルディング


 1991年、秋晴れのある日、一時間以上並んでエンパイアに登った。
エンパイアはいうまでもなく、NYマンハッタンのシンボルであり、観光コースでもあるが、私には特別の思い出がある。実はエンパイアに登るのは今回が初めてではない。1982年2月に以前住んでいた中米の一国から日本へ帰国する途中、NYに立寄り登っている。約10年振りだが、当時は高層ビルなどない開発途上国からやってきた「おのぼりさん」の私は展望台からの風景を珍しそうに眺め、中南米の観光客の話すスペイン語に親しみを感じる異邦人だった。そしてマンハッタンの街並を見下ろしながら、その後の日本での生活に想像を膨らませていたのを記憶している。
 そして10年後の今、再びエンパイアに登る機会が訪れるとは夢にも思わなかった。もちろん10年前の記憶が甦り、長い行列にも拘らず多少感傷的な気持ちで並んだのは確かだが、アメリカにいるから来られたのも事実である。
 エンパイアの展望台から見渡すマンハッタンの風景はなかなか見応えがある。以前は2月で寒くて長時間留まっておれなかったが、ガラス張りの展望台が多い中、外に出られるので季節感を味わえるのも、ここのいいところである。
 展望台は10年前と変わらず観光客で溢れていたが、私はアメリカに来るまでの10年間を回想しながら、しばらくの間そこに留まった。
 エンパイアにまつわるエピソードは多く、真っ先に思い浮かぶのはキングコングの映画だ。実際にコングが登ったわけでもないのに、ここにあのコングが・・・と思ってしまう。またこれが1931年に建てられと聞いて、改めて当時のアメリカの建築技術の素晴らしさに驚かされる。当時はもちろん世界一であり、381mは現在でも世界で三番目に高い高層ビルだが、エンパイアは単に高いコンクリートの固まりというより、古代遺跡に通じる歴史の重みや優雅さや気品のようなものが感じられる。また周りの風景とも実によく調和しており、やっぱりエンパイアはアメリカの古きよき時代のシンボルだろう。
 エンパイアから見下ろす摩天楼のパノラマとハドソン河を隔てた対岸から見るエンパイアの全景は、私のお気に入りの風景だ。そして出来れば10年後、再び登りたいと思っている。

第35話 オリンピック


 アメリカでオリンピックを見て感じたこと。
確かにオリンピックは各国共通の世界最大のイベントであり、かつては「参加することに意義がある」ともいわれたが、現実はどうだろうか。
 厳しい見方をすれば今やオリンピックはコマーシャリズムの場と化し、委員会や大国の大企業が利権を争うイベントの場に成り下がった気がする。また素朴な疑問として今の時代、国の名誉をかけて戦うことにどれほどの意味や価値があるというのだろうか。
 アフリカや中南米の名もない小国が、自国の存在を示すのは理解出来る。しかしアメリカや崩壊した旧ソ連の連合チームが、競技のほとんどを独占しながら、露骨にメダルの数を競い合うのは見ていてあまり好感が持てない。なんでも「NO 1」でないと気が済まないアメリカという面では分からなくもないが・・・。また金メダルといっても、水泳や体操、陸上の一部の選手は複数の種目に団体競技も合せ、一人で複数のメダルが取れるチャンスがあるが、42.195kmも走るマラソンはもちろん一つだし、ほとんどの競技が一回勝負。私が言いたいのは全てのメダルが同じ基準や価値で評価出来ないということだ。
 従って全てのメダルを単純に足して、国別に並べることにどれだけの意味があるのか、はなはだ疑問に感じる。
 またメダルの数え方も国によって違うから面白い。アメリカでは金銀銅は関係なく総数を足して上から多い順に掲載、質より量を優先している。一方の日本は金メダルの質にこだわり、総数順ではなく金メダルの多い国順に掲載している。しかし基準は違っても、メダルが当初の予想通り取れなかった某国のスポーツ大臣が閉会後、すぐに責任を取って辞任したことから分かるように、オリンピックは参加することに意義があるのではなく、国毎にメダル獲得数を競う団体戦であることは間違いない。日本人だから日本の選手、チームを応援するのは当然なので否定はしない。一方でソ連の崩壊、ドイツの統合等もあり、ヨーロッパではEC統合に向けた動きもあり、アメリカが日本がと、国を挙げてメダルの数にこだわり争っている時代ではないと思うのだが・・・。
 一方選手個人がメダル獲得にこだわるのは当然だし、オリンピックが晴れの舞台であるのは間違いないが、国が主役の大会から個人が主役のオリンピックの変わることを望みたい。
 このボーダーレスの時代にナショナリズムを強調して、国歌を演奏し、国旗を掲揚するオリンピックに私が感じるのは「矛盾」である。

第36話 過去の遺産と先行投資


 アメリカに来てコンサートに行く機会が増えた。
アメリカの一地方都市、メンフィスといえど有名なアーチストに接する機会は日本とは比較にならないぐらい多く、これもアメリカにいるアドバンテージだろう。私が一番よく音楽を聴いたのは、やはり10代後半から20代半ばぐらいで60年台後半から70年台。今もその時代に流行った曲が流れると懐かしく感じるし、当時のことが映像になって甦ったりするから不思議なものである。
 その時代夢中になったアーチストがメンフィスに来ると聞くと勇んで出掛けるが、がっかりさせられることが多く、その理由を考えると、歳を取った彼らが未だに昔のヒット曲を演奏しているだけで、現在の彼らに何の魅力も感じなくなったことにある。もちろん私も当時の私ではないし、期待が大きすぎたことも否めないが、好きな音楽はいつ聴いてもいいと信じていただけに、失望した原因を思わず探りたくもなる。
 独断だが、その後ヒット曲もなく20年前のヒット曲だけを未だに売り物にしているバンドやアーチストに魅力は感じない。既に昔の輝きは失っており、迫力も勢いもない。そして共通するのが、新曲がつまらないことだ。もはや彼らの音楽感覚が今の時代に合わなくなったのか、才能が枯れたのか、その後の努力を怠ったのかは知る余地もないが、過去の栄光が大きい故に一番寂しさを自覚しているのは彼ら自身であろう。
 我々からすれば、単に懐かしさだけならレコードやテープで十分だし、わざわざライブに出掛けるのは生でしか味わえない臨場感を求めてのことである。
 現在の自分は過去の自分の積み重ねによって成り立っている。知識にしても体験にしても現在の自分の発想や行動は全て本人の過去の蓄積から出たものである。自分に当てはめても元々絵が好きでデザイナーになり、ある時期外国人の友人に影響を受け英会話を習いだしたことが、その後中米に住むきっかけになったし、その経験が今アメリカでデザインの仕事をしていることに繋がっている。その時々の生き方が、将来の自分を決定づけているのは事実で、言い換えれば日々どれだけ将来の自分に投資しているかということだろう。
 いずれにしても過去の遺産を食いつぶしながら、活動を続けている元有名アーチストと同じようにはなりたくないものである。

第37話 英語の世界


 一人で始めた仕事も毎年一人ずつメンバーが増え4年目には私含め4人になった。比較的静かだった職場の雰囲気も、若手の加入もあり賑やかになったし、部門としてのまとまりも出てきた。
 アメリカ人3名日本人1名、この部屋にいる限り、100%英語の世界だ。そういうと海外で100%英語の世界が珍しいようにも聞こえるが、実際殆どの部門には複数の日本人がいるから、英語だけで仕事をしている人は少ない。しかし私の場合、部外からの電話や訪問者は別にして、部内でのミーティングや日々の業務のやり取り、たまに怒るのも当然全て英語になる。
 私の英語が上達したのか、彼らが下手な英語に慣れたのかは分からないが、大きな問題もなく、ちゃんと機能しているのは嬉しい。やはり相互理解と信頼関係を築くには、最小限の語学力は必要だろう。
 一方、少ないときは気づかなかったが、メンバーが増えるとアメリカ人も話し方や言葉の使い方にかなり違いがあるのが分かってきた。例えば日本人で「エーと」を連発する人がいるが、もしその日本人から日本語会話を学ぶ外国人がいたら、彼はきっと「エーと」連発すると思うし、以前話の間に「Oh Really?」を繰り返す日本人がいたが、多分それは彼の英語の先生の癖のような気がする。また日本人の男性に囲まれた職場いる外国人女性が、男性言葉の日本語を話すようになったと聞いたことがあるが、これは英語が日本語ほどはっきりした男性言葉や女性言葉がないからだろう。ということは、知らず知らずに私もスタッフの話し方の癖や、南部訛りも一緒に学んでいることになる。考え方もしかりで複数のアメリカ人と一緒に働きだして、ようやくそのことに気づき始めた。ここはアメリカだから、アメリカ人の意見を尊重しょうという考え方は理解出来る。しかし一人のアメリカ人の意見を盲目的に信じる日本人が多いのも事実だ。その意味では複数のアメリカ人デザイナーの意見が聞ける機会が持てて、本当に良かったと思っている。

第38話 豊かさと差別社会


 大きな家に住んで車は家族の数だけあると聞くと、これはかなりのお金持ちと思うが、アメリカ人の実生活は我々が想像する以上に質素である。
メンフィスの住宅事情は地域にもよるが、5万ドル(約650万円)ぐらいから一軒家が買えるから10万ドル(約1300万円)も出せば、結構大きな家が買える。一般的な購入方法は日本同様、15年から30年の住宅ローン。また車を複数所有しているといっても公共の交通機関が充実していないので、いわば生活必需品だ。もちろん今でもアメリカは豊かな国だと思うが、近年その差は接近しており、他国に比べ圧倒的にアメリカが豊かだったのは、やはり1950年代だろう。
 我が家に初めてテレビが来たのは多分1950年代後半で、幼いなりにはっきり記憶しているのはアメリカのホームドラマや西部劇が面白かったこと。そして印象に残っているのが、ホームドラマに出てくる大きな車やりっぱな冷蔵庫が当時の日本人の生活とはかけ離れていて、私自身アメリカがどこにあるかよく分からないまま憧れたものである。
 ベトナム戦争が始まる頃までのアメリカは、世界でもずば抜けて豊かな国であったのは間違いないが、その豊かさの裏で公然と人種差別があったのも事実である。即ち、白人優越主義による有色人種を犠牲にした豊かさであったということだ。もちろん当時の私はそんなことを知る余地もなかったが・・・。
 1950年代後半まで、アメリカ社会が人種差別を認めており、ここメンフィスに於いても映画館の座席は一階が白人、二階は黒人、バスも前と後ろで完全に分かれていたり、トイレも男子、女子、カラードの三つに分かれていたという。当時は全て「EQUAL BUT SEPARATE」(平等であるが別々)という白人側の論理で正当化されていたというから驚きだ。
 もちろん今でも差別がないとはいえない。赴任当初は昔の憧れもあり、表面的なアメリカのいい面ばかりが目についたが、時間の経過とともにアメリカの長所、短所が冷静に見られるようになった。一方アメリカ人に日本のことを聞かれても、自分自身が日本の歴史や文化に関する知識に乏しいことも痛感させられたので、日本へ戻ったら日本のことをもっと勉強しなくちゃと思っている。

第39話 ロイヤリティとリスク


 アメリカに来た当初、よく耳にしたが従業員が会社に対してロイヤリティ(忠誠心)を持たないから簡単に辞めるという話。
 例えば1セントでも給与が多ければ会社を変わるというのは少々オーバーにしても、基本的に会社と家庭に対する認識やプライオリティも違うから、仕事がハードだったり、逆に自分に必要なノウハウを身につけたら、それを武器に同業他社に自分を売り込みに行くという話はよく聞いた。
 事実我が社にも同業他社から転職した人が少なくない。彼らからはライバル会社に移った後ろめたさや、道義的な責任など全く感じられず、積極的に新しいチャンスを生かそうとする意気込みに溢れている。
 もちろん最近では日本でも転職する人は増えているようだが、短期間に同業他社を渡り歩く人はそんなには多くないだろうし、会社側もそんな人材は信用出来ないと考えても不思議ではない。
 しかしここアメリカでは、転職は日常茶飯事であり、それがキャリアとして評価される社会である。そんな中、我が社も現地化を推進(日本人駐在員を減らし、アメリカ人に業務を移管する動き)しており、業務経験のある優秀な人材を募集しているが、折角採用しても戦力になる頃に辞められても困るので、慎重な見極めが求められる。
 幸い4年以上複数のアメリカ人デザイナーと、一緒に仕事をしているが、聞かされていたような問題は起こっていない。もちろん採用時にはデザイナーとして優秀かどうかに加え、日系企業という一般の米国企業と少し違うカルチャーへの柔軟性も重要なチェックポイントだった。採用後は魅力的な職場環境を提供し、いつ辞めるかを心配する前に、彼らを信頼し重要な情報もシェアーして正当に評価することだろう。もちろんそれでも辞める人は辞めると思うが、それを恐れて与える情報を制限したり信頼しないのは本末転倒だ。
 新しいことには常にリスクが伴うが、大切なのは何に対してリスクを負うかということであり、我々は常に自分達の仕事や職場を魅力的に維持する責任と努力を怠ってはならないと思う。

第40話 エピローグ


 1988年6月、着陸態勢に入った飛行機の窓越しに見たメンフィスの街並を6年経った今も鮮明に記憶している。今日から緑に囲まれたこの街で、私のアメリカ生活が始まると思うと、不安と期待が入り交じり何とも言えない不思議な気持ちになった。だが不安より期待が勝るのは楽天家の特権だ。入管手続きを済ませ、空港から出た私はメンフィスの強い日差しに真夏を感じてかなり興奮していた。
 アメリカ南部の地方都市メンフィスでの生活は、私が日本人であることや日本という国、社会、文化や習慣等考えるいい機会でもあったし、その間アメリカに対すに評価や認識も何度か変化した。
 我々は物事を判断するとき、よく「客観的に」という言葉を使うが、国際間の利害対立に「客観的な判断による解決などないに等しい」こともよく分かった。国によって常識や価値観が違うわけだから、そもそも客観性とは?いうことになる。少し乱暴にいえば、お互いの主張や主観がぶつかり合う国際間の紛争のほとんどは経済力や軍事力を含めた力関係で決まっているのが、現実ではないだろうか。
 しかし今後はお互いの異なった考え方や価値観を受け入れる寛容性と、違うまま認め合う能力が必要な時代になるだろう。これは最近よく耳にする「共存の思想」かもしれないが、私が思うに「コンプロマイズ」という考え方だ。「コンプロマイズ」はよく「妥協」と訳されるが、同時に「譲歩する・歩み寄る」という意味もあって、私は「前向きな妥協」という意味でこの単語を使いたい。世界に今必要なのは「共存」などという格好いいものではなく、突き詰めれば互いに「コンプロマイズ」すること姿勢、歩み寄りだと思う。先進国が自然をこれ以上破壊したり、他国を犠牲にした発展や成長に待ったをかけるとするなら、あらゆる面で「コンプロマイズ」が必要だろう。今後アメリカは、日本は、企業は、そして私たちはどれだけ「コンプロマイズ」出来るのだろうか・・・。

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