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アメリカ便り

7年間のアメリカ滞在を通して、
見たこと、聞いたこと、感じたこと
1988-1995

はじめに

このエッセイは1988年から1995年までの約7年間、アメリカ、メンフィス滞在中に私が見たこと、聞いたこと、感じたことをまとめたものです。

今から約30年前のものを、そのまま掲載していますので、今では当たり前のことに文句を言ったり、驚いたり、感動したりしています。現在のアメリカや日本の社会環境は当時と大きく様変わりしましたので、多少奇異に感じる箇所もあるかと思いますが、本質的には案外変わっていないような気もします。最後まで飽きずに読んでもらえば幸いです。

 北川 龍之介

 メンフィスから


 私の住んでいる街メンフィスは、テネシー州の南西部端に位置する典型的なアメリカの地方都市であり、人口は約80万人といわれている。 

 テネシー州はアメリカ合衆国、東南部のサンベルト地帯に横たわる細長い州で元来ノースカロライナ領の一部だったが、独立戦争後テネシーの植民達が州としての地位の確立を求めた結果、1796年に合衆国の第16番目の州として認められた。初期はコットン、タバコ中心の農業州だったが、南北戦争後変化し、新しく石炭、畜産、製鉄、製材、及び銀行などの産業が入ってきた。そして20世紀になると工業州としても発展を続け、テネシー州が企業誘致に積極的なこともあり、特に最近では日系企業の進出により、経済的にも社会的にも大きく様変わりしようとしている。
 メンフィスはリバーサイドシティとも呼ばれ、その名の通りミシシッピ河に面しており、古くはコットンの積み出し港として栄えたが、現在はブルース発祥の地として、またエルビスプレスリーが在住していたことで有名だ。

 ここに住む人たちは、気候が温暖なこともあり、一般的に親しみやすい性格で、明るく親切。私も着任早々アメリカ人の家庭に招待され、南部訛りの英語に戸惑いながらも、大変楽しい時間を過ごさせてもらった。家族の結びつきが強く、お客を暖かく迎え入れる南部の伝統、サザンホスピタリティーは今も失われず残っている。

第1話 感動パーキング


 アメリカに来て最初に驚いたことの一つにハンディキャップ・パーキング(障害者専用駐車場)がある。空港、公共施設の駐車場はもちろん、レストラン、ショッピングセンターから小さな個人商店に至るまで、その規模に応じて数は異なるが、常に入り口に一番近い場所が彼らのために確保されている。
 一台分が普通の駐車スペースよりやや広く、真ん中に大きく車椅子のシンボルマークが描かれている。そしてアメリカ人が偉いと思うのは、どんなに周囲が混んでいて一般の人は決してその場所に車を止めないことである。もちろん止めれば違反で罰金もあるようだが・・・。
 良い制度なので日本も導入すればいいと思ったが、残念ながら日本はこういう面の意識、モラルが高いとは思えず、とてもこんな風にはいかない気がする。それぞれが勝手な理由で止めるかもしれない。思うにアメリカでは弱者や身障者に加え老人、女性や小さな子供に対するいたわりの気持ちが生活の一部として根付いている。例えば彼らのために走って先にドアを開けたり、支えてあげることが日常生活の中でごく自然に行なわれており、見ていてたいへん清々しい気持ちになる。要するにお互い気負いがなく、肩に力が入っていないから自然に出来るのだろう。
 日本だと助けてあげたいと思っても、一瞬ためらって結局タイミングを逸してしまったり、逆に助けてもらう側も遠慮があったりして断ってしまう。確かに簡単そうだが、お互い自然に助け合えるようになるには、もう少し時間がかかりそうだ。
 福祉後進国などと国際社会から陰口を叩かれる中、お金をかけた施設の充実も大切だが、本当の意味で福祉先進国になるには、こういう意識改革や日常の積み重ねが一番大切なのではないだろうか。この点、我々日本人もアメリカ人に大いに学ぶべきである。

追記:今では日本も当たり前にハンディキャップ・パーキングが整備されているが、調べると日本は2002年頃から導入されたようで、1988年当時は考えられなかった制度であった。

第2話 レストラン選び


 日本では食事をするのにあまり並んだ記憶のない私は、並ぶといえばせいぜい大勢で居酒屋へ押し掛け、大きなテーブルの空くのを待ったぐらいだ。一般に大勢の人が並んで席が空くのを待つのは、短いお昼休みにサラリーマンが殺到する食堂は別にして,料理が美味しく、且つコストパフォーマンスが高いお店ということになる。しかし個人的には何も並んでまで食べようとは思わない。他にもお店はあるのだから。少なくても日本ではそう思っていた。だが、アメリカに来て性格が変わった。いや、そんなに簡単に性格は変わらないが、待てるようになったのである。
 レストランの入り口で、席に案内するまで「一時間待ち」と言われば、私でなくても日本人なら結構迷うと思うが、アメリカ人は待つことに慣れているというか、慣らされているというか、普通に待つ。とにかく辛抱強い。私の経験から、中南米では席についてから料理の出るまでが長かったが、アメリカでは席につくまでが長い。そこで仕方なく入り口で名前を記入し、呼ばれるまでひたすら待つことになる。そしてようやく順番が来て席に案内されても、今度はテーブル毎に担当が決まっているので、その人に頼まないと注文を受けてくれないのも慣れないと戸惑ってしまう。
 私はメンフィスに来た当初、レストランのドア付近に溢れている人だかりを見て嫌になり、よくお店を変えたものだが、ここは日本のようにモール内や地下街に集中してレストランがないので、お店を変える時は次にどこへ行くか、また何を食べるか。を考えながら車を走らせないといけない。
 その結果、待つ以上の時間をかけて結局美味しくない料理を食べるはめになり、悔しい思いをする。そのパターンを数回繰り返すと、さすがの私も考えを改めずにおれなくなり、最近では余程のことがない限りおとなしく待つことにした。

第3話 試行錯誤


 アメリカに来て初めて一人で仕事をすることになった。当初は今までここにデザイナーがいなかったので、他部門から業務依頼をされるより自分が将来の体制作りに向けてやる仕事が多かった。しかし仕事の幅があまりに多様で、どこから手を付ければいいか正直戸惑いもなくはなかったが、まずは優先順位をつけて、一つずつ片付けることにした。そこで初めて気づかされたり、再認識させられたことが結構ある。
 当たり前だが自分がやらないと何一つ前に進まない現実を目の当たりにして、日本にいた時一人でやっていたと思ったことも、知らず知らずに周囲の人達に助けられていたことが、よく分かった。
 全てがゼロからのスタートで、分からないことや辛いこともあったが、半面やりがいも大きかった。アメリカの業者は総じて積極的で売り込みも盛んだから、デザインに必要な関連業務のサポートを依頼すると、皆さん自信たっぷりに「問題ない。私に任せて欲しい」と胸を張るが、実際に任せると満足するより、失望したほうが断然多い。我々が求める精度は、版下でいえば1ミリ以下の世界。 彼らには「やりたいとやれるは違うよ」といいたいが 一般的に見ればかなり特殊な世界だし、メンフィスの業者では無理かもしれないと本気で考えた時期もあった。 その後、試行錯誤の末メンフィスでも版下の作成が可能となったが、逆にイエローページ(職業別電話帳)で調べ、無理とは思いながら訪ねた小さな塗装工場のおじさんが、予想を裏切る職人根性でピッタリ色合せしてくれると、感動して思わず握手を求めたこともあった。この手の喜びは経験したものでないと分からないし、全てが整ってデザインだけに集中出来る日本では、絶対に味わえない気分だが、こんなことに喜びを感じる私は、ひょっとしてデザイナーよりブローカーのほうが性に合っているかもしれない。

第4話 車の修理


 アメ車は故障が多いと聞いていた。特に月曜と金曜に作られた車はよく故障するという話は、アメリカ人なら誰もが知るジョークである。なぜなら月曜はワーカーに週末の遊び疲れが残っていて、しっかりネジを締めない。一方金曜はその逆で、明日からの休みのことを考えると、うきうきしてネジがしっかり締まらない。だがココはアメリカ、わざわざ日本車に乗ることもないし「やっぱりアメリカの風景にはアメ車がよく似合うはず」と一人納得してアメ車を買うことに決めた。月曜と金曜に作られた車に当たらないことを祈りながら・・・。
 知らなかったが新車の場合、最初の一年間はランプ一つ切れても部品代含め全て無料で交換してくれるサービスがついていた。とはいえ新車だし、そんなに簡単に故障しないだろうと思っていたら、購入して一ヶ月も経たない雨の日、突然後ろのウインカーが点滅しなくなった。ランプが切れたぐらい故障といえないが、危ないし困るので早速翌日の昼休み、ディーラーのサービス工場へ向かった。到着後スタッフは「毎朝7時から8時の間に、その日の修理を受付ているから、明朝もう一度来てみたら」と冷たい対応。「なるほど、そういうシステムだったのか」と思いつつ、ランプ一個交換するだけなら5分もかからないはず、「待っているから何とかしてよ!」と頼んでみたがダメ。「それじゃランプだけちょうだい。自分で交換するから」と提案したが、これも「NO!」もちろんランプ一個渡すにも、書類の作成が必要だからだけれど、受付当人は暇そうにしているんだから「それぐらいやってくれてもいいじゃないか。日本じゃきっと申し分けなさそうな顔をして、ランプの一個ぐらい簡単にくれるだろうに」と心の中でつぶやきつつ、これ以上は粘っても無理そうだったので「帰りにウインカーが出なくて事故を起こしたら、あんたらのせいだからね」と本気とも冗談とも取れる言葉を彼に残し、修理工場を後にした。
 アメリカ人は仕事中よく「それはフェアだ、フェアじゃない!」という言い方で物事を決めようとする。業務効率より、そっちが優先されることもあり、会社へ戻る道中、あくまで横やりを認めないスタッフの態度は「確かに間違いなくフェアなやり方だ」と、少し納得したりもした。
 翌日、私は少し早起きをして、再びサービス工場へ向かった。

第5話 車の修理の続編


 強い雨の後、再びテールランプが点滅しなくなった。よく見るとカバーの中に水滴が入り、ショートしたようだ。買ったディーラーに持っていけば無料で修理、交換してくれるが、朝早く持っていかないとやってくれないし、順番だからランプ一個といえ時間がかかりそうなので、すぐに直してくれそうな近くの修理工場へ持っていくことにした。Aオートサービスは「オイル交換10分」がうたい文句の修理工場だ。早速係員にランプの交換を申し出ると、彼はチラッと見るなり「このランプの在庫はないので、Bパーツショップでランプを買って持ってくれば直ぐ交換する」という。「交換だけなら自分でも出来るのに」と思いながら地図を書いてもらい、そこへ向かった。Bパーツショップはパーツ販売だけでなく、修理もやっているというので、どうせやるなら一緒にやったほうが効率いいので、受付の女の子にその旨頼むと「担当者があくまで20〜30分、待って欲しい」という。少し長いと思ったが、今更違うお店に行くのも面倒なので待つことにした。裏の修理工場を覗いてみると、一台の車が修理の真っ最中で、どうやらこのスタッフが一人ですべての修理を担当しているようだ。事務所に戻るとさっきの女の子は電話中で、こっちを向いて「もう少し待ってね」と受話器を手で押さえながら微笑んでくれたが、私はこの時、何となく嫌な予感がした。
 それから約1時間が経過したが一向に終わる気配がない。私はしびれを切らして再び裏の修理工場へ。相変わらず彼は車のボンネットに頭を突っ込んで一生懸命修理をしている。仕方ないのでランプの交換を伝え、近くのショッピングセンターで時間を潰すことにした。「あと30分」と言っていたので、交換する時間も考慮し、約1時間後に戻ってみると、彼はまだ最初の車をいじっている。そしてそこから待つこと1時間、ようやく私の番になった。彼は手慣れたとは言いがたい手つきで私の車のランプを外し、それを思って倉庫に消えた。が、なかなか戻って来ない。再びいやな予感がした。
 しばらくして戻ってきた彼の顔を見て、私は彼が何を言うかすぐに理解した。なんということだ。ランプの在庫がないなんて。予定では15分程度で会社へ戻るはずだったのに、3時間以上待って「一体私は何をしていたんだ」と自問自答して結論は出ない。もう腹を立てる気力さえ失っていた。
 翌朝早く私は再び車を買ったお店へ、ランプの交換に出掛けるはめになったには言うまでもない。これがアメリカか、いやこれもアメリカというべきか・・・。

第6話 最初の失敗


 アメリカに来て最初の失敗として思い出されるのが、この切手事件。
 日本では電気やガス、電話等の公共料金は、銀行の個人口座から自動で引き落すのが一般的だが、こちらではパーソナルチェック(個人用小切手)に支払い先と金額を記入し、サインをして郵送で相手先に送り返すのが一般的なやり方だ。万一途中で他人がそのチェックを入手し、換金しようと思っても、受取人でないと換金出来ない仕組みになっている。当初は現金を封筒に入れるような感覚で少し抵抗があったが、慣れれば不安もなくなり、逆になかなか便利なシステムだと思うようになった。
 さて、生活を始めて1ヶ月も経つと、当然電話やガス、ケーブルTV等の請求書が送られてくる。そこで予めそのやり方を聞いていた私は、請求書にサインしたチェックを同封されていた封筒に入れ、近くのポストに投函した。
 約2週間後、私の郵便受けに送ったはずの封筒が全部戻ってきている。不思議に思い、手に取ってよく見ると「NO STAMP」と赤ペンで書かれたタッグが貼ってある。「あれ、これは切手の入らない封筒ではなかったのか」と封筒左上の小さな文字をよく読んでみると「PLEASE PUT STAMP HERE THE POST OFFICE WILL NOT DELIVER MAIL WITHOUT POSTAGE」とある。私はろくに読まず、よく日本のDMにあるように切手は要りません。と書いてあると思い込んでいた。こんなに丁寧にかいてあるのに何通も堂々と切手を貼らずに出した自分が急に恥ずかしくなった。配達の人もきっと呆れていただろう。
 全て返送してくれた親切なアメリカの郵便屋さんに感謝と同時に「ごめんなさい」でした。

第7話 ショッピング・ノウハウ


 アメリカ人って本当に待たされることや、待つことに苦痛を感じない人種じゃないかと感じることが時々ある。身近な例を挙げれば、スーパーマーケット。私などあまり待たされると、ようやく辿り着いたレジで「HOW ARE YOU TODAY?」と聞かれても「NOT FINE, BECAUSE・・・」と思わず言いそうになる。そこで急いでいる時に複数のレジのあるお店で、少しでも早く通過する方法を研究したので、参考まで。
 その1、まず列の長さ、並んでいる人の数をチェックする。これは誰でも出来るし、日本のスーパーでも同じはず。
 その2、並んでいる人の買い物カゴの中の量を素早くチェックする。これには少し技術がいる、というのも一見少なそうに見えても小物をたくさん買っている人もいるので、単純に大きさやボリュームだけの比較ではダメ。数量=かかる時間だから数を確認すべき。しかし賢明な日本の主婦なら「これも買い物の常識よ」とおっしゃるかもしれない。だがここからが、アメリカにいないとなかなか分からない。
 その3、自分の前に並んでいる人が、何で清算するかチェックを入れること。彼らの支払い方法で列の進むスピードが全然違ってくる。 まず現金、これが一番早い。その次はVISAやマスターカードなどのクレジットカード。これはカードの有効性をレジでチェックし、OKなら本人がレシートにサインしておしまい。そして一番厄介なのはパーソナルチェック、これは以前にも触れたが小切手のようなもので、各自がどこでいくらの買い物をしたかを、その場で記入しサインする。これがなかなか時間のかかる方法で、アメリカ人はあまり現金を持ち歩かないからパーソナルチェックで支払う人が結構多い。これを並ぶ前にチェックするにはかなり難しい。事前にチェックブックを出している人もいれば、自分の番になって急にカバンから取り出す人もいる。特にお年寄りはペンをレジの人に借りたり、お店の名前やスペルをいちいち尋ねたりするので時間がかかる。気づかずその後に並んだら、隣の列がドンドン進むのを横目で見ながら「今日は運が悪かった」と諦めるしかない。
 その4、レジの人の手際良さも大いに関係する。日本と違いお客さんとの雑談に夢中になり、「どうしてもっとテキパキ出来ないの」と言いたくなるような人もいる。
 これら1234を総合的に、且つ瞬時に判断して素早く自分の並ぶ列を決める。少しでも迷っていると隣の列に並んでいる山積みのワゴンを押したおばちゃんに先を越され、悔しい思いをする。ショッピングも楽じゃない。というお話。

第8話 正義感


 アメリカ人の正義感に出会った話。
 日本人は一般的にドラマや映画を観るとき、どっちが正しいとか悪いとかではなく、シリアスなストーリーの展開を好む気がする。一方アメリカ人は、総じて勧善懲悪、単純明快なストーリーを好む傾向が強いと思う。それが顕著に現れているのがアメリカのプロレスで、レスラーがリングに登場した時点で正義の味方と悪役を一目で識別出来るから面白い。 これらは「YES, NO」をはっきり言うアメリカ人と、言わない日本人という一般論に通じる部分がありそうだ。一般の人が無断でハンディキャップ・パーキングに車を止めないのも、一種の正義感からくるものと想像出来なくはない。
 話は変わるが、アメリカの禁煙はかなり進んでいて、空港も例外ではなく、喫煙出来る場所は限られている。また飛行機も、国内線の機内は殆ど禁煙で、愛煙家にとってはかなり辛いようだ。出発間際まで未練がましく喫煙コーナーで、タバコを吸っている人をよく見かける。
 先日もTVのニュースで喫煙者専用の飛行機を、どこのエアーラインだったか思い出せないが、飛ばして話題になったぐらいだから、禁煙社会のアメリカでは喫煙者は今後ますます肩身の狭い思いをすることになりそうだ。
これは出張先の空港ロビーで偶然見かけた出来事だが、中年のアメリカ人男性が知って知らずか、NO SMOKING AREAでタバコを吸っていた。すると突然少し離れたところに座っていた60歳ぐらいの女性がツカツカとその男性に歩み寄り注意をしている。その男性は少しバツ悪そうにしながら、タバコをもみ消した。しかし横にいてタバコの煙が気になるならともかく、遠くからやって来て、注意をするおせっかいな女性を見て、私はなぜかアメリカ人の正義感を目の当たりにした気がした。
 多分、日本じゃちょっと観られない光景ではないかと・・・。

第9話 TVコマーシャル


 言葉がまだ良く理解出来ない幼い子供は、TV番組よりコマーシャルに興味を示すというが、私もさしずめそれに近いようで、アメリカのTVコマーシャル(CF)が面白い。中でもライバルメーカーの製品を画面に登場させ、直接比較、攻撃するCFは競争相手の名前を挙げること自体、タブー視されている日本と違い、文化の違いと言うか、なかなか興味深い。日本に存在しないのは、敵に塩を送るのが美談とされる日本人気質には合わないのだろうし、消費者の反感をかったりして、きっと逆効果になるのかもしれない。
 例えば、フオードのピックアップ・トラックのCFでは、まずビーチにTOYOTAのマークが入ったトラックが登場して、若いドライバーが大勢のビキニ姿の女性に囲まれ、楽しそうにしている。そこへフオードのトラックが入ってくるなり、彼女たちは一斉にそっちへ行ってしまい、トヨタの彼はガックリうなだれる。機能とか性能の違いを訴えるのでなく、シンプルで単純明快なストーリーだが、結構笑える。
 一方ダイエットコークのCFはかなりドラマ仕立てで手が込んでいた。トラックの運転手がドライブインの自動販売機でダイエットコークを買うシーンから始まる。彼は美味しそうにコークの飲みながら、トラックに戻り車を走らせるとトラックのボディには大きくペプシコーラのマークが・・・。一瞬今のは、どっちのCFだったのか混乱してしまうが、すぐに「なるほど、ペプシコーラのドライバーですら飲むのはダイエットコークなんだ」ということに気づき納得させられる。かなりキツいジョークだけれど、うまい演出がそれを感じさせず、ジョーク好きのアメリカ人には受けそうだ。

第10話 イーザン・アレン


 メンフィスにイーザン・アレンという家具屋さんがある。アメリカの東部を中心に店舗展開して、一見するとどこも立派な民家と見間違うような外観をしている。店内も単に家具を並べるだけではなく、各部屋毎に様々な小物や絵画などで生活空間の演出がなされている。伝統的な高級家具の販売がメインだが、演出小物を含め、その店にあるものは全て売りモノで、その店で働くスタッフは店員とは呼ばず、全員インテリア・コーディネーターという肩書。
 即ち、単に家具を売るだけではなく、お客のニーズ応えるのが仕事で、こんな雰囲気のモノが欲しいと言えば、それが例え抽象的であっても彼らがアレンジしてくれる。もちろん自分で勝手に選ぶことも出来るが、その時も彼らはしっかり我々の後ろについて離れない。だから特に目的のない冷やかしの客には居心地が悪いようで、そんな人はこの店には来ない。そして私が初めての客と分かると、帰り際に名刺を差し出し、「次回も私に声をかけてください。またセール等の案内もしたいので、連絡先を教えて欲しい」とアメリカとは思えない丁寧な態度で頼まれると、私としても教えざる得なくなる。
 訪問から数週間後、ポストに差出人の名前のない手紙が舞い込んだ。私の名前は手書きなので、どうもダイレクトメール(DM)とは思えない。アメリカのDMの量はすざましく、毎日ポストにありとあらゆる種類のDMが入っている。しかしその殆んどは、封筒から既にDMと分かるので、そのまま集合ポストの横に設置されている大きなゴミ箱に捨てる。私も来た当初は珍しさも手伝って、全て持ち帰りこまめにチェックしていたが、最近ではその場で捨てている。しかし、差出人の分からない手書きの手紙はその場で捨てるわけにもいかず、家に持ち帰り封を切ってみると、これがイーザン・アレンで私についたコーディネーターからで、先日の訪問のお礼と何か欲しいものがあればいつでも相談に乗ります。と言ったことが、これまた手書きで書かれている。DMだと分かった後も簡単に捨てられず、サービスという言葉が殆ど退化してしまったアメリカにも「こんなサービスを提供するお店があったのか」と思わず感心してしまった。これならまず封を切らずに捨てる人はいない。もちろんそれなりの労力がかかっているが、一度訪れた客は何か探しているわけで、不特定多数に出しているわけではなく、再度訪問のきっかけを与えるには効果的だ。「DMで溢れるアメリカにも一味違ったこんなビジネスをしているお店をあるんだ」と、日本人の私はえらく感心したが、アメリカ人は彼らのビジネスをどう受け止めているのだろうか。興味のあるところだ。

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